
ピアニスト・ジによる素敵なバッハ
ジャケット上部に「BACH」の
四文字がなければ、誰もクラシックの
CDだとは思わないでしょう。
私もはじめ見たときには
槇原敬之のベスト・アルバムでも
出たのかな、ぐらいに思っていました。
聴いて驚きです。
素敵なバッハが目の前に現れます。
J.S.バッハ「ゴルトベルク変奏曲」

J.S.バッハ:
ゴルトベルク変奏曲 BWV.988
ジ(p)
録音:2017年
発売は2018年。
こんな素敵な音盤が登場していたことに
気づきませんでした。
amazon music unlimitedで
ゴルトベルク変奏曲の面白そうな演奏を
探していて見つけました。
ピアニストはジ(Ji)。
本名は「Ji-Yong」。
なんでも韓国生まれ、
アメリカで活動している
ピアニストなのだとか。
調べてみると、10歳で
ニューヨーク・フィルハーモニーの
開催した
「ヤング・アーティスト・コンクール」に
おいて優勝、
ジュリアード音楽院で研鑽を積み、
そしてシカゴ・トリビューン誌で
「明らかに才能ある若手ピアニスト」と
評されたのだそうです。

第1曲のアリアこそ
平常運転で開始しますが、
第1変奏から快調に飛ばしていきます。
タッチがきわめて軽やかであり、
ジャケットの印象同様、
ポップなイメージに満ちています。
一昔前によく聞かれた「
バッハらしさ」がありません。
そう思って聞いていると、
第4変奏では
ジャズ的即興ではないかと
思われるような反則すれすれの技を
繰り出し始めるのです。
第5変奏ではさらに加速し、
鮮やかな指裁きが
目の前に見えてくるかのような演奏で
駆け抜けます。
もしかしてこのJi、
ジャズ・ピアニストか!?
第6変奏で
いったん落ち着いたその演奏は、
第7変奏で再び疾走します。
かと思えば第8変奏の
軽やかな中に美しさを感じさせる
表現を見せるのです。
第11変奏のあたりも、
これまでのゴルトベルクとは
明らかに異なります。
ここだけ切り取って提示すれば、
バッハの音楽とは
気づかない方が多いのではないかと
思える1分間です。
このあたりまで来ると
もう引き返すことはできません。
心地よい雰囲気に包まれたまま、
気づけば第30変奏。
まるで宇宙から地上へ
軟着陸したような感覚です。
そして最終のアリア。
静かな余韻を味わいながら
聴き終えることになるのです。
この軽やか高速タッチは、
技巧としては
かなり高いレベルにあるはずです。
しかもこの独自の解釈。
その表現はあくまでも自然体であり、
イヤミに聞こえるような装飾は
一つもありません。
押しつけがましさがないのです。
自由奔放といえば、この曲の場合、
グールドが決定的な演奏を
残してしまっています。
このJiの演奏は、そのように
自分のやりたいことを
自由に行っているというものでは
ないはずです。
リスナーの耳に立って、
どう弾けば楽しく聞こえるか、
その観点に貫かれているように
感じられるのです。
羽目を外しすぎて
先生から怒られるのではなく、
節度を意識しながら
可能なことのすべてを行った、
不良学生ではないが、
決して優等生でもない、
グレーゾーンでうまく立ち回っている
生徒という印象です。
多くのピアニストが、
それなりの研鑽を積んだ上で、
満を持して臨むバッハのゴルトベルク。
しかも毎月あまたの音盤が新登場し、
比較対象の数は最も多いゴルトベルク。
それをデビュー盤で
いきなり選択したのですから驚きです
(グールドもそうでしたが)。
従来のバッハらしい演奏や
バロック的伝統的解釈、あるいは
リピートをすべて行う
原典原理主義的なものを
求める方にとっては
失望を通り越して
怒りさえ買いかねない演奏です。
しかしいろいろなスタイルがあるから
面白いのです。
グールドも面白いし、
ペライアやイサカーゼの演奏も
美しいと思います。
レオンハルトやシュタイアーの
チェンバロも素敵です。
先日取り上げた2025年9月段階の
最新版3種の録音も
魅力に溢れています。
だからこそ、このような演奏も
存在価値があるのです。
残念なことに、2018年の本盤以降、
このJiの音盤は
リリースされていません。
そもそもこの盤でさえ、
あまり話題にはならなかったのでは
ないでしょうか。
ネット通販のHMVとamazon、
アリアCDを
毎日細かくチェックしていたのですが、
見逃していました。
もしかしたら異端と見なされ、
黙殺されていたのでしょうか。
発売元は最大手のワーナーです。
宣伝不足ということもないでしょう。
根気よくJiの新盤を
待ちたいと思います。
このような演奏も、
リリース時に見つけたとして、
音盤として購入していたかと
自らに問うと、
否と答えるしかありません。これも
amazon music unlimited
だからこその出会いです。
こうした未知の音源に、これからも
出会っていきたいと思います。

それにしても、
バッハが音楽を教えていた
ゴルトベルク少年が、
不眠症に悩む
カイザーリンク伯爵のために
この曲を演奏したという逸話から
名付けられた「ゴルトベルク変奏曲」。
もしゴルトベルク少年が、
このJiのような演奏をしていたなら、
伯爵は眠るどころか
ますます目が冴えていたに
違いありません。
音楽は眠りにつくためよりも
愉しむためのものなのです。
やはり、クラシック音楽は愉し、です。
(2025.12.9)
〔関連記事:バッハ作品〕



〔ゴルトベルク変奏曲はいかが〕

【今日のさらにお薦め3作品】



【こんな音盤はいかがですか】









