最後の吟遊詩人・ヴォルケンシュタイン
先日取り上げた「十字軍の音楽」は、
トルバドール、トゥルヴェール、
ミンネゼンガーと呼ばれた、
いわゆる吟遊詩人たちの音楽を
集めたものでした。
もっと一人の作曲家を
集中して聴いてみたいと思って
目をつけたのが本盤
「ヴォルケンシュタイン歌曲集」です。
こちらも「音楽のルーツ」を
十分に愉しむことができました。
ヴォルケンシュタイン歌曲集
「中世ドイツの騎士歌人の歌」
ヴォルケンシュタイン:
かつては愛しい人が
風のざわめきが
まことの恋人
十歳のころに
太陽のまばゆい光よりも
器楽曲
おぞましいこの世の中
ベルベル地方とアラビアを通り
愛らしく優しい挨拶が
セクエンツィア
バーバラ・ソーントン(指揮・vo)
ベンジャミン・バグビー(指揮・vo・hp)
エリザベス・ゲーバー(fiddle)
ライナー・ウルライヒ(fiddle)
録音:1993年
オスヴァルト・フォン・
ヴォルケンシュタインは、
南チロル(オーストリアのチロル地方の
アルプスをはさんだ南側の地域、
現在はイタリア領)の作曲家です。
しかしそれ以前に騎士であり、
詩人であるという、
文武両道の人でした。
1376年に生まれ、
1445年に没しています。
先日取り上げたダンスタブルより
3年早く生まれた人物であり、
時代としては初期ルネサンスに
分類されますが、歴史的には
中世ドイツのミンネゼンガー
(吟遊詩人)の最後期の人物であり、
その音楽は中世の香りを感じさせます。
1曲目「かつては愛しい人が」は
フィーデルとハープによる伴奏に
男女のボーカルが絡みます。
楽しげな民族音楽風の曲です。
2曲目は雰囲気ががらりと変わり、
フィーデル、ハープによる伴奏で
女声の清らかな響きが愉しめる
「風のざわめきが」となっています。
3曲目はやはり
フィーデル、ハープの伴奏と
男声による「まことの恋人」。
表題通り、ラブソングであろう雰囲気が
曲に漂っています。
4曲目は無伴奏の男声で
「十歳のころに」。
この曲だけ取り出して聴いても、
いつの時代のどこの歌なのか、
まったく分からないでしょう。
5曲目「太陽のまばゆい光よりも」は、
フィーデルとハープによる前奏が長く、
もしかして器楽曲かと思った頃に
女声が加わり、
朗々とした旋律が現れてきます。
バックインレイの曲目では、
6曲目は「器楽曲」となっていますが、
そのままフィーデルとハープによる
インストゥルメンタルです。
「表題なし」ということなのでしょう。
7曲目はハープと女声のシンプルな曲で
「おぞましいこの世の中」。
表題とは異なり、美しい曲です。
それに対して8曲目は
フィードルと男声による
「ベルベル地方とアラビアを通り」。
歌詞対訳を見る限り、生活の
愚痴をこぼしているような感じです。
最後の9曲目
「愛らしく優しい挨拶が」は、
フィーデルとハープの伴奏に戻り、
女声が入ります。
ここで用いられているハープは、
オーケストラで見られるような
コンサートハープではなく、
ジャケット内の写真で見る限り、
ケルティックハープといわれる
小型のもののようです。
またフィーデルなる楽器は、
主に中世のヨーロッパで用いられた
擦弦楽器であり、
ヴァイオリンやヴィオラの
原型楽器です。
こうして全曲聴き通すと、
教会音楽のような美しさや神秘さは
まったくないことがわかります。
そして民族音学的な土臭さが
前面に押し出されています。
もし古楽に興味を持つ以前の私が
本盤に接していたら、
「わけのわからないものを
買ってしまった」と、
すぐに処分していたでしょう。
でも、古楽を愉しみ馴れると、
こうした音楽の面白さも
十分に理解できるようになりました。
これもまた音楽の源流の
一つの姿なのです。
私たちの現在聴いている音楽は、
こうしたものが形を変えて
今日に至ったものなのです。
やはり、音盤は愉し、です。
〔関連記事:吟遊詩人の音楽〕
以前取り上げたマンロウと
ロンドン古楽コンソートによる
音盤です。こちらも素敵です。
〔関連記事:セクエンツィアの音盤〕
演奏団体「セクエンツィア」について、
「シャンスリエ作品集」を
以前取り上げました。
以下の音盤もお薦めです。
セクエンツィアの音楽を
もっと聴いてみたいと思っています。
(2023.7.9)
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