
スリリングな人間模様のドタバタ愛憎劇
オペラ全曲盤は一通り聴き通すのが
時間的に難しいため、場合によっては
「購入して数回聴いたきり」の盤が
いくつも生じてしまいます。
本盤もその一つ。
久しぶりに聴いてみました。
そうしたらあまりの面白さに
卒倒しそうになりました。
ルネ・ヤーコプス指揮のモーツァルト
「コジ・ファン・トゥッテ」です。
モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」

モーツァルト:
歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」 K.588
ヴェロニク・ジャンス(S)
…フィオルディリージ
ベルナルダ・フィンク(S)…ドラベッラ
ヴェルナー・ギューラ(T)…フェランド
マルセル・ボーネ(Br)…グリエルモ
ピエトロ・スパニョーリ(Br)
…ドン・アルフォンゾ
グラシエラ・オッドーネ(S)
…デスピーナ
ルネ・ヤーコプス(指揮)
コンチェルト・ケルン
ケルン室内合唱団
録音:1998年
実は本盤購入以前は、
ベーム指揮フィルハーモニア管、
カラヤン指揮フィルハーモニア管の
二つを聴いてきました。
その二つがあればいいのではないかと
思いながらも、
話題のヤーコプス盤を
買った記憶があります。
二十年前に聴いた段階では
「なんだこれは?」という感覚で、
そのため棚の奥で
眠りにつくことになった次第です。
私自身が古楽器演奏に慣れるとともに、
「名盤」の呪縛から逃れられるように
なったのが原因でしょう。
ヤーコプス盤の革新性に
ようやく気づくことができました。

ベーム盤、カラヤン盤、
そしてそれらの時代は、
作品全体の統一感や
美しいシンフォニックな造形美を
重視し、
一定のテンポを整然と保つスタイルが
主流でした。
ところがこのヤーコプス盤は、
筋書きにある人間ドラマを
音楽の上でも再現しています。
「コジ」は、
恋人たちの試す愚かな賭けから始まり、
登場人物たちの感情が騙し騙され、
混乱し、急激に揺れ動く
人間ドラマなのです。
ヤーコプスは動揺、皮肉、偽りの悲しみ、
本気の愛の目覚めなど、場面ごとの
人物たちの心理状態に合わせて、
テンポを自在に変化させています。
その振幅の大きさは
尋常ではありません。
この録音で特に特徴的なのが、
物語を進行させる
「レチタティーヴォ」の扱いと、
伴奏するフォルテピアノの表現です。
従来の録音では、レチタティーヴォは
単なる「アリアとアリアをつなぐ
説明」として静かに奏でられることが
多くありました。
しかしヤーコプスの演奏では、
フォルテピアノが
即興的に装飾音を入れ込んだり、
登場人物の心の声や皮肉を
音楽的に突っ込んだりと、
まるで劇の語り部のように
積極的に介入してきます。
レチタティーヴォとフォルテピアノに
これだけ劇的な役割が与えられたのは、
本盤以前にはなかったはずです。
伴奏のコンチェルト・ケルンが
使用しているのは、
もちろんピリオド楽器です。
現代のフルオーケストラに比べて
弦楽器のガット弦や管楽器の音色が
鋭く軽やかで、
音の立ち上がりが早いため、
急激なダイナミクスやテンポの変化が
ダイレクトに耳に響きます。
軽快で俊敏なオケを起用したことが、
本盤の透明感と鋭いコントラストを
生み出しているのです。
こうしたヤーコプス盤の
革新的創造的な試みは、
従来の「名盤」の流れとは
異なるものであり、
好き嫌いが分かれるはずです。
ヤーコプス盤の
頻繁に行われるテンポ変化や
強弱の極端な揺れについては、
「テンポ変化があざとく、
落ち着かない」という批判的見解が
ネット上でも散見されます。
また、フォルテピアノの
即興的な装飾や差し込みに対し、
「歌手の声を邪魔している」
「悪ふざけであり、
古典派の品格を損なっている」という
指摘もあるようです。
さらにはピリオド楽器特有の
鋭いアタック音や乾いた響きが、
耳に合わないと感じられる方も
依然として多いのではないかと
思われます。
「コジ」を整然とした
美しい古典派音楽として聴くのであれば
ベーム盤、カラヤン盤で
事足りるのでしょう。しかし、
「劇場でリアルタイムに起きている、
生々しくスリリングな人間模様の
ドタバタ愛憎劇」として、
作品に別角度から光を照射したとき、
「リアル感とライブ感を伴った
演劇と音楽の融合した芸術」として
新たな作品造が立ち上ってくるのです。

ベーム盤の気品ある美しさも
素晴らしいし、
カラヤン盤の洗練された美声と流麗さも
素敵です。
しかしそれらとは対極にある
「演劇的なスリル」もまた
音楽の一つの完成された姿なのです。
ならば両方味わいつくすまでです。
やはり、クラシック音楽は愉し、です。
(2026.8.4)
〔ヤーコプスのモーツァルト・オペラ〕
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