
劇的なテンポ感と精緻な合唱の魅力
ヘンデルの数あるオラトリオの中で、
「メサイア」に次ぐ人気があるのが
この「サウル」ではないでしょうか。
オペラティックな
メリハリのある筋書き、
そしてオーディオ映えする
音楽的演出効果などが
その理由でしょう。
私が所有しているのはガーディナーが
1989年に指揮した盤です。
やや時間が経過した感があるのですが、
その演奏の瑞々しさは今なお
色褪せていません。

ヘンデル:
オラトリオ「サウル」全曲
アラステア・マイルズ(Bs)…サウル
デレク・リー・ラギン(C-T)…ダヴィデ
ジョン・マーク・エインズリー(T)
…ジョナサン
リン・ドーソン(S)…ミカル
ドナ・ブラウン(S)…メラブ
ニール・マッキー(T)…高官
フィリップ・サルモン(T)
…エンドルの魔女
モンテヴェルディ合唱団
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)
録音:1989年
本作品「サウル」の特徴は、
その劇的な筋書きにあります。
オラトリオ、つまり衣装や演技なしの
演奏会形式として書かれたものですが、
オペラとして十分に通用する
内容となっています。
第1幕:
ダビデの栄光とサウルの嫉妬の芽生え
1 ダビデ、ゴリアテを倒して凱旋
イスラエルの民は神に感謝し、
若き英雄ダビデを称える。
サウル王、息子ヨナタン、
娘メラブ、ミカルらがダビデを迎える。
ヨナタンはダビデと固い友情を結ぶ。
2 メラブはダビデを侮り、
ミカルは恋心を抱く
サウルはダビデに
メラブを嫁がせようとするが、
メラブは「羊飼い風情」と彼を見下す。
一方ミカルはダビデに惹かれていく。
3 民の歌がサウルの心を曇らせる
「サウルは千を倒しダビデは万を倒した」
この歌がサウルの心に
嫉妬と恐怖を植え付ける。
4 サウル、ダビデ殺害を企てる
サウルはヨナタンに
「ダビデを殺せ」と命じる。
しかしヨナタンは友を守ろうと誓う。
第2幕:サウルの狂気とダビデの逃亡
1 ヨナタンの説得で
一時的に和解するが…
ヨナタンは父サウルに
ダビデの功績を説き、
サウルは表向きはダビデを許し、
ミカルとの結婚を認める。
2 しかし内心では
「ダビデが戦で死ねばよい」と願う
サウルはダビデを戦場へ送り込み、
敵に殺されることを期待する。
だがダビデは勝利して戻り、
サウルの嫉妬はさらに激化。
3 サウル、槍を投げて
ダビデを殺そうとする
ダビデはミカルの助けで逃亡する。
4 サウル、
息子ヨナタンにまで槍を投げる
ヨナタンがダビデを擁護すると、
サウルは怒り狂い、
息子にまで槍を投げる。
民は「怒りの恐ろしい結果」を嘆く。
第3幕:魔女の予言とサウルの死
1 サウル、禁じていた
「エン・ドルの魔女」を訪ねる
神に見放されたサウルは、
禁忌を破って魔女に助けを求める。
魔女はサムエルの霊を呼び出す。
2 サムエルの霊の予言
「サウルとその息子たちは戦で死に、
ダビデが王となる」
これがサウルの運命を決定づける。
3 アマレク人がダビデに報告:
サウルとヨナタンの死
イスラエル軍はギルボア山で敗れ、
サウルとヨナタンは
戦死したと告げられる。
4 葬送行進曲
サウルとヨナタンの死を悼む
厳粛な音楽が流れる。
5 民の嘆きと、ダビデの深い悲しみ
ダビデは友ヨナタンの死を深く嘆き、
物語は静かな悲しみの中で幕を閉じる。
ガーディナーとイギリス・バロック管、
そしてモンテヴェルディ合唱団の
演奏の最大の特徴は、
「一切の弛緩がない劇的なテンポ感」と
「合唱の超絶的クオリティ」にあります。
ヘンデルのオラトリオにおける主役は
「合唱」ですが、
ガーディナーの手兵である
モンテヴェルディ合唱団の歌唱は
群を抜いています。
発音の明晰さ、ダイナミクスの幅、
そしてサウルを狂わせる民衆の
「嫉妬」や「怒り」といった感情表現は、
きわめて生々しく劇的です。
ガーディナーはバロック・オペラの
大家でもあるため、この作品を
「動きのない宗教曲」としてではなく、
「劇的な心理サスペンス」として
捉えています。
音楽の推進力が凄まじく、全三幕の
緊張感が最後まで途切れません。
ストリーミング配信で
アーノンクール盤、ヤーコプス盤、
マクリーシュ盤と比較しましたが、
その優位性は揺るぎがないと感じます。
それらも素晴らしい演奏なのですが、
ガーディナー盤以前に録音された
アーノンクール盤は、
歌手が立派すぎて
ドイツ・リート的であり、
英国風の味わいが薄くなっています。
ガーディナー盤以後のマクリーシュ盤は
合唱の美しさでは勝るものの、
劇的な音作りでは
本盤に及んでいないように感じます。
そしてヤーコプス盤は
逆に刺激が強すぎる一方で
合唱が崩れ気味の箇所が聞き取れます。
バランス感覚の良いガーディナー盤は、
今後も「サウル」演奏の絶対的基準として
残り続けるのではないかと思われます。

ところで、
このオペラティックな「サウル」が
「オペラ」ではなく「オラトリオ」として
作曲されたのには理由があります。
18世紀のイギリスでは、
聖書の神聖な物語を、
世俗的なエンターテインメントである
「演劇」や「オペラ」として
舞台上演すること」が法律によって
厳しく禁じられていました。
特に1737年に制定された
「舞台検閲法」により、
劇場の出し物はロンドン宮内長官の
厳しいチェックを
受けることになります。
理由としては主に以下の二点でした。
一つは、世俗の役者が
「聖人」を演じることへの反発です。
普段、不倫劇や喜劇を
演じているような役者が、
舞台衣装を着て聖書の高潔な人物を
演じるのは「不謹慎であり冒涜である」と
考えられていたのです。
もう一つは、
カトリックの「神秘劇」への警戒心です。
かつて中世カトリックで行われていた、
聖書を劇にする風習への嫌悪感
(プロテスタントとしての反発)も
あったと考えられています。
つまり、
どれだけ劇的なストーリーであっても、
「衣装をつけ、演技を行い、
舞台装置を使って聖書の話を上演する」
ことは絶対に許されなかったのです。
実はヘンデルは一度、
「やらかして」います。
1732年、聖書を題材にした
劇音楽「エステル」を、
オペラのように上演しようと
計画したことがあるのです。
しかしロンドン司教から、
「ふざけるな、即刻中止!」と
大目玉を喰らい、
上演禁止を言い渡されてしまいました。
そこでヘンデルが編み出した
ウルトラCが、
現在の「オラトリオ」スタイルです。
「分かりました。では衣装は着ません。
演技もしません。大道具も置きません。
歌手はみんな普通の服装で
譜面台の前にただ立って歌います。
これは演劇ではなくただの演奏会です」
と、「しれっと」言ったかどうかは
定かでありませんが、
こうして司教や検閲をクリアし、
合法的に聖書のドラマを
劇場で上演するシステムを
完成させたのです。
この「舞台で演じられない」という制限は
結果的にヘンデルを
大成功へと導くことになります。
そこには実業家ヘンデルの、
実に見事なビジネス戦略がありました。
当時のイタリア・オペラは、
派手な舞台美術や、
ヨーロッパ中から呼び寄せるスター歌手
(カストラートなど)への莫大なギャラで
制作費が文字通り
破産レベルで高騰していました。
一方、オラトリオは舞台美術がゼロ、
衣装代もゼロ。
さらに歌手もイギリス現地の
(ギャラが比較的安い)歌手で済むため、
信じられないほどローコストで
制作できたのです。
演技ができない代わりに、
ヘンデルは「合唱」を大活躍させました。
オペラでは主役のスターが
一人でアリアを歌うのが基本ですが、
オラトリオでは民衆や軍隊を表現する
合唱がドラマを引っ張ります。
これが、イギリス人好みの
重厚なアンサンブル文化と
見事にマッチしました。
「サウル」で民衆の合唱が
これほど劇的で洗練されているのも、
「演技ができない分、
音楽でドラマを語り尽くす」という
制約から生まれた
逆転の発想だったわけです。

舞台も衣装もないからこそ、
ヘンデルは人間の感情や情景を
すべて「音」の中に閉じ込めました。
あの劇的な合唱の迫力、
サウル王のじわじわと狂っていく歌声、
そして背後で鳴り響く
美しいカリヨンの音色。
それらはすべて、当時のロンドンの
制約を飛び越えようとした
ヘンデルの執念と天才の証です。
最高峰の演奏であるガーディナー盤で、
その圧倒的な「音のドラマ」を
味わえるのは、
何という贅沢なのでしょうか。
音楽の背景にある
「なぜこの形になったのか」という歴史や
人間ドラマを知ると、
耳に飛び込んでくる音の一つひとつが、
まるでパズルのピースがハマるように
意味を持って聴こえてきます。
やはり、クラシック音楽は愉し、です。
(2026.7.21)
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