
クラッゲルードから楽聖への時空を超えたオマージュ
先日のシンディングの
2枚のアルバムを演奏していた
ヘンニング・クラッゲルードの
ヴァイオリンの音色に魅せられ、
他の録音はないかと探してみたら、
何とベートーヴェンを
録音していました。
しかしこれ以上ベートーヴェンの
ヴァイオリン協奏曲の音盤を
増やすわけにはいかず…、
というわけで、
やはりストリーミングは重宝します。
「Metamorphoses」
ヘンニング・クラッゲルード

ベートーヴェン:
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61
(カデンツァ:クラッゲルード)
クラッゲルード:
Mantra-Metamorphosen
ベートーヴェン:
弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」
Op.95 (弦楽編曲版)
(編曲:クラッゲルード)
ヘンニング・クラッゲルード(vn)
クリスチャン・クルクセン(指揮)
アークティック・フィル
録音:2018年
収録曲を見ればわかるように、
協奏曲のカデンツァは
クラッゲルードの自作、
セリオーソもクラッゲルード自身の
アレンジ、さらに両曲の間に
自作曲を挟み込むなど、
「演奏者」ではなく「創作者」として
ベートーヴェンの音楽と
対峙したような印象を受けます。
聴いてみると、
それはさらに強く感じられます。
単に「名曲を美しく演奏する」という枠を
遥かに超えており、
クラッゲルードの
「即興演奏家・編曲家・作曲家」としての
クリエイティブな執念が詰まった、
非常にコンセプチュアルな
作品となっているのです。
クラッゲルードは、
現代のクラシック演奏家が
「過去の巨匠の楽譜を
忠実に再現するだけのマシーン」
のようになっている現状に
一石を投じたいと
考えているのでしょう。
このアルバムにおけるベートーヴェンの
ヴァイオリン協奏曲に対する
最も重要なアプローチは
「即興」であると考えられます。
クラッゲルード自身、
次のようなコメントを発表しています。
「ベートーヴェンの自筆譜を
徹底的に研究し、
さらに即興演奏を重ねることで、
ようやくベートーヴェンに
たどり着くことができた。
それによって
カデンツァが生まれただけでなく、
かつての巨匠たちがやっていたように、
楽譜に対する真の所有権を
自分自身のものとして
感じられるようになったんだ」。
本来、ベートーヴェンの時代には
ソロ・ヴァイオリニストが
その場で即興的にカデンツァを弾くのが
当たり前でした。
しかし現代では、
ヨアヒムやクライスラーといった
過去の巨匠が残した固定の楽譜を
なぞる演奏が大半を占めています。
クラッゲルードが自らペンを執った
このカデンツァは、
時にはロマン派風に、
時には現代的な響きを交えながら
スリリングに展開していきます。
誰かが作ったカデンツァを
弾くのではなく、自ら即興し、
紡ぎ出すことで、
ベートーヴェンの音楽を
「借り物」ではなく「自分の血肉」として
表現しようとしたのでしょう。

聴いてみると、
かつての重厚でロマンティックな
演奏ではなく、
かといってストイックな
ピリオド楽器演奏とも異なる、
流麗でヴァイオリンが歌うような
演奏として聴こえてきます。
現代楽器オケである
アークティック・フィルを使いながらも、
ピリオド演奏がもたらした
「見通しの良い軽やかさ」や
「小気味よいテンポ感」を
完璧に消化しているのです。
しかし、古楽風のストイックさに
縛られることなく、
ヴァイオリンを自由奔放に
解き放ったようなトーンで、
即興性豊かに歌わせているのです。
21世紀を生きる創作者として
ベートーヴェンと対話した結果として
生まれたこの流麗な演奏スタイルは、
これからの名曲演奏のあり方を示す
一つの指針となるのではないかと
考えます。
ベートーヴェンの全クァルテットの中で
最も凝縮され、
アグレッシブな激しさを持つ
「セリオーソ」。この曲の持つ
「凝縮された劇的なエネルギー」や
「急激な感情の変化」は、
弦楽オーケストラという
大きな編成になることで、
よりダイナミックに、
かつシンフォニックに拡張されます。
そうした意図で
過去にも弦楽オケ編曲版による演奏は
いくつか登場していました。
しかしこのクラッゲルードのアレンジは
それらとは異なります。
過去の多くの弦楽オケ編曲
(特にマーラー版)は、
室内楽を「交響曲的なスケール」に
拡大することを目指していました。
そのためもとの四重奏
(第1vn、第2vn、va、vc)の楽譜の下に、
コントラバスの重低音パートを
補強・追加するのが
一般的なアプローチです。
これによって、
ド迫力の重厚なサウンドが生まれます。
クラッゲルード版はあえて
コントラバスを排し、
もとの四重奏と同じ
「4つのパート」のまま
オケに拡大しています。
マーラーのような後期ロマン派風の
重厚なタペストリーにするのではなく、
ベートーヴェンが音楽に凝縮させた
「尖ったナイフのような鋭さ」や
「風通しの良い機動性」を、
そのまま大人数に
スケールアップさせようとしたと
考えられます。
聴いてみると、
低域が過剰に膨らまないため、
アンサンブルのキレが凄まじく、
大人数でありながら
「巨大な室内楽」としての緊密さが
保たれているのです。
他の資料をあたってみると、
演奏のアークティック・フィルの
特徴として
「透明な弦の響き」「冷たい空気感」
「過度なビブラートを避けた
直線的な音色」があげられています。
本アルバムの「セリオーソ」における
クラッゲルード編曲は、
まさにそうした
アークティック・フィルの個性と
見事に合致しているといえるのです。
ベートーヴェンの2曲をつなぐ
クラッゲルード自身の作品
「Mantra-Metamorphosen」
(マントラ=メタモルフォーゼン)。
どうやらR・シュトラウスの
「メタモルフォーゼン」から受けた
インスピレーションによって
書き上げられた作品のようです。
ベートーヴェンの古典的な美に、
シュトラウス的な
変容の精神を注ぎ込み、
クラッゲルードの現代的な感性で
仕上げたような作品です。

聴き慣れたはずのベートーヴェンの
ヴァイオリン協奏曲、
しかしこのアルバムを聴くと、
まるで新しい音楽に出会ったような、
新鮮な感動と興奮を覚えます。
本アルバムは、
「もしベートーヴェンが
現代に生きていたら、
同じように即興し、
実験的なアプローチを楽しんだはずだ」
という、クラッゲルードから楽聖への
時空を超えたオマージュであり、
演奏家が「創作者」としての
主権を取り戻すための
実証実験となっているのです。
その背景を踏まえて聴き直すと、
ヴァイオリンの鋭い切れ味や
カデンツァの推進力が、
より一層スリリングに聴こえてきます。
やはり、クラシック音楽は愉し、です。
(2026.6.23)
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