シンディングの音楽を味わう

クラッゲルードのヴァイオリンの魅力

このところ、シンディング
2枚の音盤を繰り返し聴いています。
ナクソス・レーベルから
20年ほど前にリリースされた
「ヴァイオリンとピアノのための作品集」
第1集と第2集です。

シンディング
「ヴァイオリンとピアノのための作品集」

今日のオススメ!音盤

〔第1集〕
シンディング:
 カントゥス・ドロリス Op.78
 3つの悲しき小品 Op.106-1「悲歌」
 ロマンスニ長調 Op.79-1
 アルバムの綴り Op.81-2
 古い方法 Op.89-1
 セレナーデ Op.89-2
 古風な組曲 Op.10
 3つの悲しき小品 Op.106-3
  「アンダンテ・レリジオーゾ」
 ワルツト長調 Op.59-3(第1稿)
 ワルツホ短調 Op.59-4
 ワルツト長調 OP.59-3(第2稿)
 エア Op.81-1
 子守歌 Op.106-2

ヘンニング・クラッゲルード(vn)
クリスチャン・イーレ・ハドラン(p)
録音:2006年

今日のオススメ!音盤

〔第2集〕
シンディング:
 前奏曲 Op.43-3
 ロマンス ニ長調 Op.100
 夕べの歌 Op.89-3
 春のささやき Op.32-3(ピアノ・ソロ)
 ロマンス ホ短調 Op.30
 古い様式のソナタ Op.99
 エレジー Op.61-2
 バラード Op.61-3
 夕べの気分 Op.120a

ヘンニング・クラッゲルード(vn)
クリスチャン・イーレ・ハドラン(p)
録音:2006年

こうして2枚の曲目を眺めてみても、
「大作」のようなものはありません。
魅力的なサロン風小品が
数多く並んでいるのです。
その一つ一つが、
甘美な旋律と活気ある和声をもって
光り輝くように並んでいるのです。
シンディングといえば、
ピアノ独奏曲の「春のささやき」
(本盤にも収録されている)だけが
有名なのですが、
こんなにも魅力的な作品を残した
作曲家であることを、
改めて思い知らされました。

1856 Sinding

第1集では「古風な組曲 Op.10」が
秀逸です。
バロック的で古風な様式を借りながら、
ロマン派的な抒情を融合させた
作品となっています。
中でも第2曲「Adagio」は、
素朴で内省的な旋律線と
過度な感情表現を避けた
透明感のある和声は、
静かに聴き手の心に
染み入ってくるようです。
第2集では
「ロマンス ニ長調 Op.100」が
聴き応えがあります。
こちらもヴァイオリンが
自然に歌うような旋律線が魅力的です。

こうした曲の魅力を
最大限に引き出しているのが
ヴァイオリンのクラッゲルードの
技巧と表現力の高さです。
シンディングの曲のメロディには
独特の「甘美さ」があるため、
下手に演奏すると
「ベタベタした、甘ったるい音楽」に
陥ってしまいそうです。
しかしノルウェー出身の
クラッゲルードは、
非常にクリアでどこか涼しげな、
引き締まった音色を持っています。
この「甘すぎない、
少しだけクールな質感」が、
「甘美さ」を適度に抑制しつつ、
北欧の抒情味を最もピュアな形で
際立たせているのです。
クラッゲルード自身も作曲を行う
音楽家であるため、
シンディングが楽譜に込めた意図を
深く理解しているのでしょう。
誇張した表現をせずとも、
自然な呼吸でフレーズを歌いきるため、
まるで曲そのものが
自ら歌っているかのように
聞こえてくるのです。

もしシンディングの曲がつまらなければ
どんな名手でもここまで引き込まれる
アルバムにはなりません。
逆にクラッゲルードのような
「引き算の美学」を持つ演奏家でなければ
シンディングのメロディは
ここまで高潔に響かなかったはずです。
この2枚は、作曲家と演奏家の
素敵な邂逅がもたらした
奇蹟の音盤といっても
いいのではないかと思うのです。

さて、
これだけの曲を書いているのですから、
同じノルウェー生まれの
グリーグ程度に評価されてしかるべきと
感じるのですが、
シンディングの知名度は日本だけでなく
欧米においても今ひとつの状態です。

理由の一つは、音楽史の激変と
シンディングの
保守的すぎたスタイルにあります。
シンディングがジャンルを問わず
美しい名曲を量産していた
19世紀末から20世紀初頭、
クラシック音楽界は
激動の時代を迎えていました。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」や、
シェーンベルクの無調音楽など、
音楽シーンは過激なモダンアートへ
急速にシフトしてしまったのです。
彼が頑なに守り続けた
「美しくロマンチックな旋律」は、
当時の最先端の批評家たちから
「時代遅れ」と
一蹴されてしまったのです。

二つめは、グリーグとの
「国民楽派としての差」があります。
グリーグが世界中で愛され続けるのは、
ノルウェーの民謡や大自然の空気感を
そのまま音楽に昇華した
「固有の民族色」があったからです。
一方でシンディングは、
ドイツで音楽を学んだため、
スタイルが完全に
「ブラームスやリスト直系の
ドイツ・ロマン派」と
とらえられたのです。
そのため、
「ノルウェーらしさ」を期待する
聴き手からは、やや個性に欠けると
見なされてしまったのです。

そして三つめは、
彼の死の直前に起きた政治的事件です。
シンディングは1930年代後半から、
重度の老年期認知症を患っていました。
1941年、彼が亡くなるわずか8週間前、
ナチス占領下のノルウェーにおいて、
親ナチス政権がプロパガンダのために、
国民的英雄だったシンディングを
強引にナチス党へと入党させました
(この時の彼の党員証には、
本人の署名すらなかったといいます)。
彼は1930年代初頭に
ユダヤ人音楽家の権利を守るために
戦った人物であり、
正気であればナチスに
加担するはずがなかったのですが、
認知症で判断能力を失った状態を
利用されてしまったのです。
これがシンディングの知名度を
決定的に失墜させてしまいました。

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1945年にノルウェーが解放されると、
国営放送をはじめとする
全土のメディアで
「ナチス協力者」のボイコット運動が
始まりました。
シンディングの音楽もその対象となり、
公共の電波やコンサートから
完全に締め出されてしまったのです。
この政治的ボイコットにより、
戦後の数十年間にわたって
彼の名前と作品は
意図的に歴史から消し去られ、
世界的な忘却へと
つながっていきました。

21世紀に入ってようやく、
「晩年の入党は病気によるものであり、
本人の意志ではない」という
歴史的背景が
広く理解されるようになり、
音楽そのものを
純粋に評価しようという動きが
活発になっているのは嬉しいことです。

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音楽の背景にある歴史や、
演奏家が楽譜に込めた思いを
知ることで、
スピーカーから流れてくる音の深みが
ガラリと変わることがあります。
歴史の荒波に一度は埋もれながらも、
現代にこうして美しい音として蘇り、
海を越えて心に響いていると思うと、
音盤を聴く時間が
さらに愛おしいものに感じられます。
クラッゲルードの凛としたバイオリンと
シンディングの
濃厚なロマンティシズムが織りなす
北欧の美しい世界を、
心ゆくまで味わい尽くしましょう。
やはり、クラシック音楽は愉し、です。

(2026.6.16)

〔シンディングの音盤はいかが〕

〔クラッゲルードの音盤はいかが〕

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