
バッハと黒人作曲家のピアノ曲の素敵な競演
第三作までリリースされている
ロシェル・セネットによる
「Bach To Black」。
第一作はなかなか
購入できなかったのですが、
「Ⅱ」「Ⅲ」は中古盤がすぐ見つかり、
ようやく三作がそろいました。
今日は「Ⅱ」を取り上げます。
Bach To Black Vol.Ⅱ
Rochell Sennet

Disc1
J.S.バッハ:
パルティータ第3番イ短調 BWV.827
ケイ:
8つのインヴェンション
J.S.バッハ:
パルティータ第4番ニ長調 BWV.828
バーリー:
サウスランド組曲より
Disc2
J.S.バッハ:
パルティータ第2番ハ短調 BWV.826
プライス:
7つの叙事的小品
J.S.バッハ:
パルティータ第5番ト長調 BWV.829
リング:
謝肉祭~5つのダンス組曲
Disc3
J.S.バッハ:
パルティータ第6番ホ短調 BWV.830
ムーアマン:
ピアノ組曲
J.S.バッハ:
パルティータ第1番
変ロ長調 BWV.825
ウォーカー:
5つの小品
ロシェル・セネット(p)
録音:2022年
「Ⅰ」はバッハの「イギリス組曲」各曲と
黒人作曲家のピアノ曲の
組み合わせでしたが、
本盤「Ⅱ」は、「パルティータ」6曲が
メインとなります。
やはり面白く聴くことができました。
聴き慣れた音楽のあとに
異質な旋律が現れるという繰り返しは、
バッハと黒人作曲家、
それぞれの音楽の特徴が
よりはっきりと感じとれる
しくみとなっているのです。
取り上げられている黒人作曲家は
以下の通りです。
ユリシーズ・シンプソン・ケイ
[1917-1995]
ハリー・サッカー・バーリー
[1866-1949]
フローレンス・ベアトリス・プライス
[1887-1953]
モンタギュー・リング
[1866-1956]
ジョイス・ソロモン・ムーアマン
[1946-]
ジョージ・テオフィラス・ウォーカー
[1922-2018]

一人目のケイはヒンデミットの影響を
強く受けたアフリカ系アメリカ人です。
取り上げられている
「8つのインヴェンション」は、
非常に緻密な現代曲という
印象を受けます。
第1曲はやや早めのテンポで進行し、
バッハの「パルティータ第3番」の
第7曲:ジークと
シームレス的につながるのですが、
次第に緩やかなテンポの曲が続き、
完全な「現代曲」に移行します。
まるで「知らぬ間に異世界に
踏み込んだ」ような感覚を覚えます。
二人目、バーリーですが、
アメリカの黒人作曲家で、
国民楽派の作曲家ドヴォルザークが
アメリカに滞在していた際、
彼に黒人霊歌を教えた人物として
有名です。
ドヴォルザークが
「新世界より」を書く際、
バーレイの歌う霊歌が
大きなインスピレーションになったと
いわれています。
収録されている
「サウスランド組曲より」は、
後期ロマン派のピアノ曲のような
叙情性に満ちた
素敵な味わいの曲となっています。
「より」(from)と表記されてあり、
全曲からの抜粋のように思いましたが、
調べた限りでは
この「サウスランド組曲」は
全6曲の構成であり、
すべて収録された形となっています。
この組曲が
「パルティータ第4番」のあとに
配置されているのは、
第4番が持つ「華やかさ」や
「宮廷的なダンス」の要素と、
バーリーが描く
「南部のダンスや祈り」という
異なる文化の組曲形式を対比させる
意図があると考えられます。
三人目のプライスは、
アメリカ初の黒人女性の作曲家です。
彼女の作品の多くは
長らく行方不明となっていましたが、
2009年に彼女の旧別荘で
その大部分が発見されたことで
演奏・録音されるようになり、
再評価が進んでいます。
彼女の作品には、霊歌そのものや、
霊歌を思わせる美しい旋律が
頻繁に登場します。
彼女の作風を一言で表すなら、
「欧米の洗練された後期ロマン派様式と
アフリカ系アメリカ人の魂
(スピリチュアル)の完璧な結婚」と
いえるでしょうか。
収録されている「7つの叙事的小品」も、
バッハとの親和性の高い作品です。
四人目、モンタギュー・リングという
作曲家ですが、
実はこれはペンネームです。
この作曲家の正体は、
アマンダ・アイラ・オルドリッジという、
イギリスで活躍した
非常に多才な女性音楽家
(ロンドン生まれの
アフリカ系イギリス人)です。
彼女の父親は、19世紀にヨーロッパで
「黒人のシェイクスピア俳優」として
一世を風靡した伝説的俳優の
アイラ・オルドリッジです。
当時のイギリスでは、女性が、しかも
アフリカ系の血を引く人物が
「本格的な」作曲を出版することには、
社会的な偏見という
高い壁がありました。
そのため、彼女は
「モンタギュー・リング」という、
男性風かつ人種を特定されない名前を
使わざるをえなかったのです。
彼女の作品は、
当時のロンドンで好まれた「サロン音楽」
(軽音楽やピアノ組曲)のスタイルを
ベースにしています。
非常に上品で
親しみやすいメロディを持ちながら、
父のルーツであるアフリカや、
あるいは西インド諸島などの
リズムや色彩が、
エキゾチックなエッセンスとして
取り入れられているのです。
このアルバムに収録されている
「謝肉祭~5つのダンス組曲」は、
「パルティータ第5番」の
やや厳格なイメージに対し、
ロンドンのサロンで奏でられたような
「軽やかで優雅なダンス」という対比が
際立っています。
五人目、ムーアマンは、
現代アメリカを代表する
アフリカ系女性作曲家であり、
教育者です。
彼女の音楽は、クラシック音楽の
伝統的な形式を土台としながらも、
ジャズやアフリカの伝統音楽、
そして無調や12音技法といった
20世紀の現代音楽的手法を融合させた、
非常に複雑で知的なスタイルを
特徴としています。
収録曲の「ピアノ組曲」は、
このアルバムの中でも特に鋭利な
現代音楽の響きを持っており、
「パルティータ第1番」の優雅な印象とは、
一聴すると対極にあるように
感じられます。
しかし、セネット博士がこの二人を
あえて隣り合わせに配置した意図には、
「構造の類似」と
「時代を超えた対位法」という
非常に知的なねらいがあると
考えられます。
バッハの音楽の核は、
複数のメロディが独立して進む
「対位法」です。
ムーアマンは、
20世紀の複雑な技法を用いながらも、
非常に緻密な「線の音楽」を書く
作曲家です。
バッハの論理的な音の構成と、
ムーアマンの現代的で数学的な
音の構成を並べることで、
「数世紀を経ても、音楽の本質は
構造の美にある」ということを
示そうとしているものと
考えられるのです。
最後のウォーカーは、
アフリカ系作曲家として初めて
プルリッツァー賞(音楽部門)を受賞した
20世紀アメリカ音楽界の巨星です。
収録曲の「5つの小品」は、
どことなく陰鬱な雰囲気が
漂っているのですが、
それはウォーカーの音楽が持つ
「峻厳さ」や「妥協のない構造美」であり、
これこそがバッハの最も深い精神性と
呼応していると感じます。
「5つの小品」は非常に内省的で、
時に痛切な響きを持っています。
セネットは、バッハの音楽の持つ
「究極のシリアスさ」を、
現代において最も純粋に
引き継いでいるのが
ウォーカーの書法であると
考えたのかもしれません。
第一作もそうでしたが、
「Bach to Black Ⅱ」は、
単なる珍しい組み合わせの
アルバムではなく、
クラシック音楽界における「包摂性」
(インクルージョン)と「対話」を
非常に明確な意図を持って形にした
意欲作なのです。
バッハという「西洋音楽の父」の
金字塔的な作品を軸に据えることで、
これまで歴史の陰に隠れがちだった
アフリカ系作曲家の作品を
「同じ次元の傑作」として等価に扱い、
新たな光を当てること。
それがこの「Bach to Black」
(バッハから黒人作曲家へ、そして
黒人作曲家からバッハへ)という
タイトルの真意といえるでしょう。

バロックの厳格さと
アフリカ系作曲家の多彩な感性が
交差するこの3枚組音盤は、
知的な刺激に満ちたリスニング体験を
提供してくれます。
やはり、クラシック音楽は愉し、です。
(2026.5.5)
〔関連記事:「Bach to Black」〕

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