
「グレゴリオ聖歌集」録音史の転換点を聴く
「グレゴリオ聖歌」はどれもこれも
同じような音楽だとばかり
思っていました。
旋律が印象に残りにくいことや
歌詞が聞き取れないことが原因で、
区別がつかないのです。
しかしいくつか音盤を買い集め、
聴き比べてみると、やはり
違いがわかるようになってきました。
最近聴いているのは
スコラ・アンティクヮによる演奏の
三枚組の音盤集です。
グレゴリオ聖歌集〔聖週間の音楽〕
スコラ・アンティクヮ

CD1
作曲者不詳:
枝の主日の行列式における聖歌
ダヴィドの子にホザンナ
祭司長らやファリサイ派の人々らは
ヘブライ人の子らは
しゅろの枝をかかげ
ヘブライ人の子らは彼らの衣服を
主がイエルサレムに
近づきたまいし時
人々は、イエスが
過越しの祭の六日前
山を下るすべての群衆は
栄光と讃美とほまれとは
枝の主日のミサにおける聖歌
主よ、御身の救いを
キリエ
御身わが右手をとりたまい
神よ、わが神よ
わが心、侮辱と悲惨によりて
サンクトゥス
アニュス・デイ
父よ、われこの杯を飲まずして
CD2
見よ、王のみ旗は進む
聖木曜日
されどわれらは と キリエ
キリストはわれらのために
主の右手は
サンクトゥス
主イエズスは弟子らとともに
聖金曜日
主よ、われは御身の言葉を
主よ、われを悪しき人々より救い
わが民よ
見よ、十字架の木を
主よ、われら御身の十字架を
この世の創り主が
真実なる十字架/舌よ、歌え
CD3
復活の祝日前夜
主に向かいてわれら歌わん
ぶどう畑が愛する者に与えられぬ
天よ、耳を傾けよ
谷川慕いて鹿のあえぐごとく
キリエ
グローリア
アレルヤ、主をほめ讃えよ
プレファツィオとサンクトゥス
復活の祝日の
ミサ直前に行なわれる行列式の聖歌
わが復活の日に
われは神殿より出でたる水を見たり
誰を墓の中に探したるか
栄光の王なるキリストが
天使が主の墓のところに坐り
復活の祝日前夜の典礼劇
スコラ・アンティクヮ
録音:1985年 1987年
「グレゴリオ聖歌」といえば、
「癒やしの音楽
(ヒーリング・ミュージック)」もしくは
「天から降り注ぐような、たゆたう聖歌」
というイメージがあります。
しかしこのスコラ・アンティクヮの
演奏からは
そうしたイメージが感じられません。
とてもゴツゴツしていて、
聴いていても
まったく「癒やされない」のです。
「たゆたう聖歌」の
スタンダードな演奏は、
ドン・ジョセフ・ガジャール指揮
ソレム修道院聖歌隊による
「グレゴリオ聖歌大全集」でしょう。
枚数にして20枚にもおよぶ
文字通りの「大全集」なのですが、
それが「グレゴリオ聖歌」演奏史の
原点といえます。
実は、ガジャール盤と
スコラ・アンティクヮ盤は、
グレゴリオ聖歌の歴史において
最も激しく議論された「リズム論」の、
ちょうど両極端に位置しているのです。
ガジャール盤の演奏は
「ソレム唱法」と呼ばれる、
1960年代頃の
スタンダードな歌唱法です。
すべての音符をほぼ等しい長さで、
流れるようにレガートで歌います。
現代の私たちがイメージする
「たゆたう聖歌」のスタイルです。
これに対してスコラ・アンティクヮ盤は
「定量リズム唱法」という
異なる観点からの解釈となります。
1980年代における「中世の聖歌には
長い音と短い音の区別があった」という
学説(定量論)に
基づいての録音なのです。
そのため、
ソレム流の流麗な演奏に慣れていると、
スコラ・アンティクヮの演奏は
「ゴツゴツしている」
「行進曲やダンスのように拍節感がある」
と感じられ、
まったく別の音楽のように
聞こえてしまうのです。
もちろん演奏規模も
聴感上の違いに直結しています。
ソレム修道院は数十人の修道士による
「修道院の響き(豊かな残響)」ですが、
スコラ・アンティクヮは
少人数の精鋭アンサンブルによる、
より「肉声に近い、直線的な響き」を
重視しています。
これも「まったく違うもの」に聞こえる
大きな要因です。

では、どちらが「本物」なのか?
これについては、音楽学者の間でも
今なお決着がついていないようです。
ガジャール時代のソレム唱法は、
カトリック教会の「祈りの実用」として
磨き上げられた様式美ですが、
近年の研究(聖歌記号学)では、
スコラ・アンティクヮが試みたように
「音の長短」があったとする説が
有力視されています。
ガジャール盤にも
スコラ・アンティクヮ盤にも、
同じ「聖木曜日」という音楽が
収録されているのですが、
その祈りの言葉は、一方では
「永遠に続く静謐な流れ」として、
もう一方では
「生々しい中世の語り」として
表現されているのです。
ガジャール指揮盤は1960年代頃の録音、
スコラ・アンティクヮは
1980年代の録音です。
グレゴリオ聖歌の演奏は、
そこから現在までの間に
さらに進化を遂げています。
90年代以降は、
記号学に基づく「ニュアンスの復元」が
試みられています。
つまりガジャール式の「滑らかさ」と、
スコラ・アンティクヮの「リズム感」を、
より高度な次元で
融合させようというものです。
ガジャール盤は
グレゴリオ聖歌の録音史の原点、
スコラ・アンティクヮ盤は
重要な転換点、
そしてそれ以降、その両者の解釈を
統合・発展・深化させる形で
グレゴリオ聖歌の演奏が
続いているのです。
現代の演奏家たちは、もはや
「流麗に歌うこと」や
「規則正しく刻むこと」を
目指してはいません。
現在重要視されているのは、
「ラテン語の言葉が持つ
本来のエネルギーを、
いかに旋律に反映させるか」という
点なのです。
ガジャール盤が
「理想化された祈り」だとしたら、
現代の演奏は「中世の修道士たちの
体温を感じる祈り」へと
進化しているといえるでしょう。
このスコラ・アンティクヮ盤は、
そうした演奏史の流れの重要な
「パラダイム・シフト」的存在なのです。
ガジャール盤の「普遍的な美」を
疑わずに聴く幸福もあれば、
スコラ・アンティクヮの「挑戦的な問い」に
耳を傾ける刺激もあります。
その両方を知っていれば、
新しい録音に出会ったとき、
その演奏が
「伝統寄り」なのか「革新寄り」なのか、
その立ち位置がわかり、
理解が深まるようになるはずです。
それこそがこの膨大なグレゴリオ聖歌の
世界を歩む醍醐味といえるのです。
やはり、クラシック音楽は愉し、です。
(2026.4.14)
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