タスマニア交響楽団によるベートーヴェン交響曲全集

フォルテ・ピアノによる通奏低音付き全集の魅力

20年くらい前に購入し、
あまり聴かないままに
棚の奥で眠ってしまったものを
取り出してみました。
ベートーヴェン交響曲全集ですが、
ダヴィット・ポルセリーン指揮の
タスマニア交響楽団。
改めて聴いてみると、
なかなかの演奏です。

ベートーヴェン:交響曲全集
ポルセリーン&タスマニア交響楽団

今日のオススメ!音盤

ベートーヴェン:
CD1
 交響曲第1番ハ長調 op.21
 交響曲第2番ニ長調 op.36

CD2
 交響曲第3番変ホ長調 op.55「英雄」
 交響曲第4番変ロ長調 op.60

CD3
 交響曲第5番ハ短調 op.67「運命」
 交響曲第6番ヘ長調 op.68「田園」

CD4
 交響曲第7番イ長調 op.92
 交響曲第8番ヘ長調 op.93

CD5
 交響曲第9番ニ短調 op.125「合唱」
シャロン・プレーロ(S)
エリザベス・キャンベル(Ms)
キース・ルイス(T)
ブルース・マーティン(Br)
オペラ・オーストラリア合唱団
タスマニア交響楽団
ダヴィッド・ポルセリーン(指揮)
録音:2002~2004年

何気なく聴いていると
わかりにくいのですが、
オケの音が弱くなった部分で
聞こえてくるのはピアノの音です。
それも古楽器フォルテ・ピアノ。
バロック時代から古典派初期にかけては
オーケストラの中に
チェンバロやピアノなどの
鍵盤楽器が入り、
低音を補強したり和音を埋めたりする
「通奏低音」の役割を果たすのが
一般的でした。
ベートーヴェンの時代(19世紀初頭)には
その習慣は消えつつありましたが、
最新の研究や当時の記録に基づき、
「ベートーヴェン自身が指揮する際にも
鍵盤楽器を弾きながら
(あるいは弾かせながら)
統率していたのではないか」という
仮説からスタートしたのが
本盤における演奏です。

1770 Beethoven

フォルテ・ピアノによる
通奏低音が入ると何が変わるのか?
一つはリズムが強調されます。
フォルテ・ピアノ特有の
減衰の早い打撃音が、
リズムの輪郭を明確にする効果を
生み出しています。
もう一つは響きが彩られます。
現代のグランド・ピアノとは異なる、
軽やかで少し金属的な響きが、
管楽器や弦楽器の響きに
独特のアクセントを加えているのです。
こうした演奏効果を、
「ベートーヴェンが当時耳にしていた、
あるいは想定していた響き」として
再現してみようという試みなのです。

面白いのは、
そうした歴史的再現を試みた
タスマニア交響楽団は、
古楽器演奏集団ではなく
モダン楽器オケであるということです。
ちぐはぐにも感じられますが、
タスマニア響は小規模楽団。
50名足らずの編成らしいのですが、
現地では
「グレイト・スモール・オーケストラ」の
愛称で親しまれている、
実力派集団なのです。
つまり、単純に
古楽器を使用して済ますのではなく、
「ベートーヴェン時代と対応する小編成」
「ノン・ビブラートを基本とする
ピリオド・スタイル」そして
「フォルテ・ピアノによる通奏低音付き」の
三つの方向から歴史的演奏を再現した、
いわば
「ハイブリッド・ベートーヴェン」
なのです。

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第1番・第2番は、こうした
ピリオド・アプローチに適した曲であり、
古典派としての曲の構造が
はっきりとわかる演奏となっています。
ただ、この2曲については、
20世紀末に登場した
ガーディナー盤やブリュッヘン盤、
ホグウッド盤といった古楽器演奏群、
近年でもアントニーニ盤や
ファイ盤など、
面白い演奏が目白押しですので、
大きな目新しさは感じられません。

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ところが本来は重厚である第3番は、
他の演奏とは異なって聴こえてきます。
リズムが強調されて軽快であり、
重苦しさを感じさせないまま
淀みなく流れていきます。
まるでハイドンの交響曲
第112番あたりを聴いているような
錯覚を覚えます。
その勢いを保ったまま、
さらにリズミカルな第4番へと
つながっていくのです。

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第5番は勢いに流されることなく、
曲の構造を一つ一つ丹念に
解き明かすような演奏が展開します。
壮大な建築物の緻密な設計図を
見せられているかのような感覚です。
続く第6番が圧巻です。
ワルターやベームといった
かつての巨匠たちが描いた「田園」が、
豊穣な大地や自然への没入を描く
「油絵」だとしたら、
ポルセリーンのそれは
細部まで鋭いペンで描かれた
「精緻な銅版画」といえるでしょう。
ロマン派的な情緒には決して溺れない、
エッジの効いた尖った演奏です。
第4番や第7番に近い雰囲気へと
進化しています。
「こんな田園では落ち着かない」と
苛立つ方もいらっしゃるかと思います。
しかしこの心地よさは
十分に味わう価値のあるものです。

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そして第7番と第8番。
リズム感重視の第7番は、
この演奏スタイルが
力を発揮していることは
いうまでもありません。
そのまま流れ込んだ第8番が
さらに秀逸です。
通奏低音付きというスタイルが、
もっとも効果を発揮しているのは
この曲と感じます。
第4楽章の爽快感はたまりません。
第8番はこんなにも
楽しい曲だったのかと
改めて感じさせられます。

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最後を締めくくる第9番も素敵です。
やはり迫力を追うのではなく、
構造の美しさを明確にした
演奏となっています。
ソリストの名前は
見慣れないものばかりですが、
聴いてみると納得させられます。
歌唱力は確かです。
調べてみると4人は
オーストラリア最大級の歌劇場である
オペラ・オーストラリアの
看板歌手たちでした。
したがってことさら声や技巧を
前面に出すようなことはなく、
知的なアプローチでバランス感覚を
しっかりと保っています。
ソリストも楽器も「自分が主役」などと
主張することなく、
ベートーヴェンの書いた音符を
丁寧に表現しているのです。

オーストラリアの楽団といえば
シドニー交響楽団や
メルボルン交響楽団が有名です。
このタスマニア交響楽団は、
その名の通りオーストラリア大陸の
南東海上に位置する
タスマニア島の州都にあるオケであり、
これまで注目してこなかったのですが、
こんな素敵な演奏を残していたことに
驚かされました
(そもそもシドニー響やメルボルン響も
ベートーヴェンの交響曲全集は
リリースしていないはず)。

さらに調べてみると、
このタスマニア響は
英Hyperionレーベルにおいて
かの有名な
「ロマンティック・ピアノ・
コンチェルト・シリーズ」の
常連的存在となっていました。
ハワード・シェリー(指揮・ピアノ)などと
組み、忘れられた名曲を
次々と掘り起こしています。

指揮のポルセリーンも、
cpoレーベルにおいて
レントヘンやアンドリーセン、
ヒルセやバディングスといった
知られざる作曲家の紹介に、
積極的に取り組んでいる指揮者でした。

この一週間、
一日に一枚ずつ聴いたのですが、
新たな発見と感動を
味わうことができました。本全集は
「通奏低音付きの珍盤」などでは
ありません。
「歴史的背景への深い洞察」と
「オーストラリアのオーケストラの
柔軟性」が見事に融合した、
非常に知的な
エンターテインメントとしての
「名盤」なのです。
未聴の方、ぜひご賞味ください。
やはり、クラシック音楽は愉し、です。

※すでに廃盤となり
 入手は困難なのですが、
 amazon musicで
 愉しむことができます。

(2026.3.10)

〔関連記事:ベートーヴェンの音楽〕

ベートーヴェン:三重協奏曲
ベートーヴェン:後期弦楽四重奏曲集
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集

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Julian HackerによるPixabayからの画像

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