ワン・ヴォイス~中世吟遊詩人の歌

本当に「ワン・ヴォイス」!~無伴奏独唱の世界

「中世吟遊詩人の歌」という
副題がついています。
「吟遊詩人」の音楽としては、
以前マンロウの「十字軍の音楽」
取り上げました。
そちらは5名の声楽ソリストの歌唱に
マンロウが指揮する
ロンドン古楽コンソートの伴奏付きで、
それなりに賑やかな音楽でしたが、
こちらは違います。
表題どおりの「ワン・ヴォイス」、
つまり伴奏なしの独唱なのです。
これがまた美しい音楽世界を
創り上げているのです。

ワン・ヴォイス~中世吟遊詩人の歌

今日のオススメ!音盤

ギラウト・デ・ボルネイユ:
 栄光の王
エティエンヌ・ド・モー:
 夫はとても嫉妬深くて
ジャウフル・リュデル:
 5月、陽が長くなる頃
ガス・ブリュレ:
 やるせない、
  悲しみと不安でいっぱいだ
オードフロワ・ル・バタール:
 真の愛は私に希望を与え
ベルナルト・デ・ヴェンタドルン:
 雲雀が喜びのあまり
作者不詳:
 可愛いヨランツが部屋に坐って
ディア伯夫人ベアトリス:
 嫌なことも歌わなければ
ナヴァール王チボート・シャンパーニュ:
 神はペリカンのようだ
リシャール・ド・フルニヴァル:
 愛された時、愛しませんでした
ギラウト・デ・ボルネイユ:
 もし助言を求めたら
ガウセルム・ファイディト:
 何とつらいことだろう

キャサリン・ボット(S)
録音:1995年

「吟遊詩人」とは、各地を漫遊しながら
詩を吟じていた人という誤解が
浸透してしまっているのですが、
そうではありません。
中世の時代、吟遊詩人の多くは
騎士階級に属する人々でした。
騎士階級とは、日本の封建制度と同様、
土地を与えられる代わりに
軍務を提供するという、いわば
「御恩・奉公」の契約関係を
領主と結んだ人々です。
当然、吟遊詩人たちは十字軍に参加し、
軍隊を鼓舞する音楽をはじめとして、
政治批判や恋愛の歌を
おおらかに歌い上げたのです。
本盤は、その中でも
「愛の歌」を中心に編まれたものです。
キャサリン・ボットの美しいソプラノが、
その「愛の歌」を響かせます。

吟遊詩人の音楽

1曲目、11曲目の
ギラウト・デ・ボルネイユは、
1160年頃の生まれ、
1200年頃没年のトルバドゥールです。
Wikipediaによると「90点の詩と
4つの旋律が現存」とありますので、
その4曲の中の2曲なのでしょう。
「栄光の王」は、英雄を讃える歌であり、
「愛の歌」とはいえないのですが、
アルバムの幕開けを飾るにふさわしい
風貌を備えた歌です。
一方、「もし助言を求めたら」は、
歌詞を読む限り、
恋愛お悩み相談といった内容であり、
旋律からもその雰囲気が感じられます。

2曲目のエティエンヌ・ド・モーは、
生没年不明で資料も見当たりません。
しかしその歌「夫はとても嫉妬深くて」は
他団体の演奏の音盤にも
収録されており、決して
無名というわけではなさそうです。
同曲は、歌詞は分からなくとも、
明るく愚痴を話しているような旋律が
魅力的です。

3曲目、ジャウフル・リュデルも
その生涯がはっきりしない
トルバドゥールですが、
どうやらこの人物も十字軍に参加し、
その遠征中になくなったことが
確かなようです。
「5月、陽が長くなる頃」は、
ゆったりと愛を歌った旋律が素敵です。

4曲目、ガス・ブリュレは
初期のトルヴェールの代表的人物です。
1160年頃の生まれ、
1213年没とされています。
「やるせない、悲しみと不安で
いっぱいだ」もまた、静かに愛を
歌い上げている美しい旋律です。

5曲目、オードフロワ・ル・バタールも
情報に乏しい人物です。
1200年頃に生まれ、
1230年頃没したようです。
「真の愛は私に希望を与え」は、
曲名どおり、希望に裏打ちされた
自信が感じられる曲調です。

6曲目、
ベルナルト・デ・ヴェンタドルンは、
中世プロヴァンスを代表する
トルバドゥールであり、
1147年頃に生まれ、
1170年頃に没しています。
「雲雀が喜びのあまり」は、
愛に裏切られた男の
嘆き節のような歌詞ですが、
旋律には陰鬱さは感じられず、
自然の美しさを表現しているような
趣が聴き取れます。

7曲目は「作者不詳」の
「可愛いヨランツが部屋に坐って」。
フランスに伝わる民謡なのでしょうか、
愛らしい旋律の曲です。

8曲目はトロバイリッツ
(女性トルバドゥール)の
ディア伯夫人ベアトリス。
収録されている
「嫌なことでも歌わなければ」は、
無傷のまま現存している
女性トルバドゥールの唯一の歌曲です。
心に染み入るような
しみじみとした旋律の歌であり、
いつも何度か繰り返して
聴いてしまいます。

9曲目、ナヴァール王
チボー・ド・シャンパーニュ。
いろいろな呼び名があるようですが、
マンロウの「十字軍の音楽」に
収録されている
シャンパーニュ伯チボー4世と
同一であり、この人物だけが
両盤で重複している吟遊詩人です。
「王様兼トルバドゥール」なのですが、
その歌は恋愛ものが
多かったといいますから、
ロマンチストな王様だったのでしょう。
ただし収録曲「神はペリカンのようだ」は
愛ではなく神への賛美を
堂々と歌い上げています。

10曲目、
リシャール・ド・フルニヴァル。
この人物については音楽家としてよりも
哲学者・聖職者としての情報が
検索されます。
「愛の動物寓話集」なるものの
著者として紹介されています。
同名の別人かと思いましたが、
生没年の情報は一致していますので、
同一人物であるはずです。
「愛された時、愛しませんでした」は、
哲学者らしくしみじみと
内省しているような曲調です。

12曲目、
ガウセルム・ファイディトについては、
情報が乏しいのですが、どうやら
トルバドゥールとして活躍したものの、
その後は没落し、
ジョングルール(大道芸人)に
なったという記述が見つかります。
「何とつらいことだろう」は、
偉大なる神を
たたえる歌となっています。

今日のオススメ!音盤

伴奏なしの歌は、
意識して聴かないと退屈さを感じ、
聞き流してしまいがちです。
しかし一曲一曲に丁寧に聴き入ると、
その表情の変化に驚かされます。
キャサリン・ボットの歌唱は、
その曲の持つ物語を、
見事なまでに表現し、
聴き手に伝えています。
歌詞対訳を参照しなくても、
その内容が伝わってくるのです。
吟遊詩人たちの歌とは、
本来こうしたものだったのかも
しれません。
12世紀から13世紀にかけての
中世ヨーロッパの空気を
感じることができる音盤です。
ぜひご賞味ください。
やはり、クラシック音楽は愉し、です。

(2024.12.17)

〔キャサリン・ボットの音盤〕

〔吟遊詩人の音楽の音盤〕

Jieun LeeによるPixabayからの画像

【今日のさらにお薦め3作品】

「アニマ・メア」
「スラブ舞曲」
「グレゴリオ聖歌集」

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