バッハ・無伴奏の新しい形態
バッハの無伴奏チェロ組曲。
何か重々しい雰囲気があり、
姿勢を正して聴かなくては
ならないような威厳があります。
でも最近は、
そうしたイメージを打ち破るような
無伴奏が登場しています。
以前取り上げた若きチェリストの
エステレ・レヴァーツによる
「バッハ&フレンズ」なども
その一例です。
今回紹介するのは、
さらに大がかりな構造の3枚組です。
バッハ「無伴奏チェロ組曲」
マイケ・ラーデマーカース
Disc1
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲
第1番ト長調 BWV.1007
グバイドゥーリナ:
無伴奏チェロのための
10の前奏曲より第3番
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲
第2番ニ短調 BWV.1008
クルターグ:
メッセージ=コンソレーション
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲
第3番ハ長調 BWV.1009
Disc2
ペンデレツキ:
スラヴ風に
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲
第4番変ホ長調 BWV.1010
ブリテン:
テーマ・ザッハー
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲
第5番ニ短調 BWV.1011
シュニトケ:
音の手紙
Disc3
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲
第6番ニ長調 BWV.1012
インプロヴィゼーション(即興演奏):
コンスタント
ディスタント
マイケ・ラーデマーカース(vc)
録音:2013年
バロック音楽と近現代曲を
組み合わせる試みは、
すでにいくつも成されています。
それによって、
古楽器演奏ブームに逆行する形で、
バロック作品を現代曲の側に
引き寄せるような
アプローチとなっているのです。
バッハ・無伴奏チェロ組曲6曲の間に
グバイドゥーリナ、クルターグ、
ペンデレツキ、ブリテン、
シュニトケによる
無伴奏チェロ曲を挿入し、
最終の第6番のあとには
エレクトリック・チェロによる
即興演奏曲2曲を配置するなど、
斬新なプログラムとなっています。
それもただ並べただけでは
ないようです。
「ペンデレツキの「スラヴ風に」は
B・A・C・Hのモティーフに基づいて
作曲」されているということで、
バッハへの
つながりを持たせるとともに、
このプログラムの
「要」としていることがうかがえます。
またクルターグの作品については、
「高いCの音で終わり、
第3番への自然な導入」を
試みているということです
(実際聴いてみると、確かに
自然なつながりとなっています)。
そしてブリテンの作品は、
「続いて演奏される第5番の
暗闇の世界を暗示する」など、有機的な
関連付けが成されているのです。
この3枚組のプログラムを通して聴くと、
3時間以上かかるため、
実はなかなか難しいものがあります。
時間を確保して聴き通すと、
確かに選曲の面白さや、
バッハと近現代曲との
不思議な共通性が聴き取れたりして、
意外な発見をすることができます。
しかし…難儀です。
私は無理せず、
気が向いたときに気が向いた1枚を
チョイスして聴くことにしています。
そうした聴き方をしたとき、
1枚目は
バッハで始まりバッハで終わるため、
「バッハの無伴奏を聴いた」という
実感が強いのですが、他の2枚は
また異なった印象を受けます。
2枚目はペンデレツキで始まり、
バッハ2曲とブリテンを挟み、
シュニトケで終わっているため、
難解な現代曲を
聴き通した気分になります。
ラーデマーカースのチェロは、
往年のチェリストのように
重々しいものではなく、
古楽器演奏のような爽快さと、
よい意味での「軽さ」が特徴です。
そのため2枚目に関しては、
バッハがかなり現代曲に
引き寄せられた形で
耳に響くことになるのです。
さらに3枚目は、バッハのあとに
エレクトリック・チェロによる
即興演奏が続きます。
これに至っては
バッハを聴くというよりも、
ラーデマーカースのチェロの技巧を
愉しむ方に耳が向いてしまいます。
1枚ごとに趣が異なるのも
また良しでしょう。
カザルスやフルニエの無伴奏を
信奉している方にとっては、
「こんなものバッハではない!」と
怒り狂うこと間違いなしなのですが、
音楽はもっと自由なはずです。
基本的には、一人一人は自分の
愉しめる音楽を聴けばいいのです。
でも、ちょっと勇気を出して、
これまで余り好まなかった音楽にも
耳を傾けてみれば、
新しい音楽体験ができることは
間違いありません。
やはり、音盤は愉し、です。
(2023.5.4)
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